2012年3月11日日曜日

軍人だったじいちゃんの話

1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:22:36.02ID:YKp1vcA90
聞かせてくれ




3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:23:26.40ID:afuht4lZ0
天皇陛下から直々に表彰されたらしい




15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:26:53.13ID:kXJ2gV0d0
>>3
うちのじいじも亡くなった時
天皇の当時の総理小泉から勲章貰ったお




4:タカ ◆PlayBoyNEw :2012/03/03(土) 07:23:30.02ID:OMOeNNxm0
戦争で死んだ




5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:23:36.89ID:KJB49b9K0
海軍で麻雀が強かったらしい




7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:24:31.29ID:kXJ2gV0d0
開戦前から
終戦まで満州にいたけど
その話はタブーで
何も語らずに亡くなった。

俺は聞きたかったよ。

けど辛かったんだろうな




9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:24:58.17ID:VdlC8doc0
軍人じゃないけど満州軍属の科学者だったらしい
731の石井四郎とのツーショット写真がある




22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:33:04.77ID:VdlC8doc0
父型の爺さんは満州の科学者だったけど嫌気がさして脱走して教員になったらしい
母型の爺さんは長崎の原爆で両親と妹なくした後、苦学して大蔵省の高官に
俺は両親に寄生してる文系ニート




12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:26:34.91ID:w7GcOqNN0
当時は珍しい高卒なんで満州で輜重隊
鬼軍曹で戦後に絶対に忘れんとか手紙貰ったらしい




17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:29:01.83ID:Ye34G/L00
ひいじいちゃんだが
東洋大学で坂口安吾とサークル仲間だったけど犬猿の仲だったとか
中国哲学専攻で満州の学校で教えてたけど現地召集されてすぐ敗戦
シベリア行きの列車から脱走して現地人や教え子のつてを頼り自力で帰国
坂口安吾が本出す度に買って来て地元の文芸同人誌に悪口書いてたツンデレじいさん




20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:30:14.67ID:IueHwK1z0
従軍医で武蔵に乗ってたことがあるらしい
撃沈される前の寄港ポイントで降りたって聞いたのはスゲーって思ったね




23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:34:26.40ID:oIBK2Sgw0
防空壕の話を聞いて、やっぱアメリカ兵って怖いと思った
仕方ないっちゃ仕方ないんだろうけど




25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:35:05.83ID:Iy24qq3K0
>>23
その話を聞かせろよ




30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:42:20.12ID:oIBK2Sgw0
>>25
防空壕一個一個に手榴弾投げ入れて行ったんだってさ
一応、出てこないと死ぬよ?みたいな事を先に言ってたけど
英語分かる一般人なんていなかったらしくて
ほとんどが死んだらしい
女子供も竹槍持ってるって米兵は知ってたから
野放しは危なかったんだろうけど、何だかなぁって思った




35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:48:49.28ID:shu+XRpE0
捕虜





36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:49:30.34ID:yXU3IQT80
海軍だったじいちゃん

白い軍服着て髭生やして椅子に座った立派な写真があった
じいちゃん偉いひとだったのかな…
他の写真の階級章見たら二等兵?っぽかった

亡くなってから戦争に興味持って、いろんな話聞けたのになーと後悔した
じいちゃん大好きや!




42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:54:11.58ID:YKp1vcA90
>>36
本当おれもそうだった
でも戦争は死体みてもマヒしてなんよに思わなかったとか
もっと話聞けばよかった




37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:50:19.59ID:Str5ocWE0
金剛って戦艦に乗ってた
魚雷でやられた
仲間が鮫にいっぱい食べられた
小さな戦艦に救出された




40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:52:18.84ID:CfEBZwTcO
シベリア方面に行って戦闘
弾が腕を貫通
誇らしげに見せてくれた傷痕二つ
去年死んだ

婆ちゃんは戦場で看護婦してた




43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:54:14.19ID:EKRbVSil0
ゼロ戦四機落として撃墜されてそのあとずっと後方勤務だったらしい




45:忍法帖【Lv=999,xxxPT】 :2012/03/03(土) 07:55:04.40ID:NGBnpQGd0
特攻隊に所属してた
出撃の前日に戦争終わったとか




46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:55:53.24ID:YKp1vcA90
>>45
やっぱ悔やんでたの?




50:忍法帖【Lv=999,xxxPT】 :2012/03/03(土) 07:58:46.36ID:NGBnpQGd0
>>46
わからない
当時は悔やんでたかもしれないけど今は出撃できなかったことを悔やんでる様子はないな




49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:57:17.70ID:W5CN+PpcO
父方のじいさんは戦闘機の教官かなんかで飛燕に乗ってたらしい
終戦があと1週間遅かったら特攻に出てたって言ってたな

母方のは歩兵で盲貫銃創を麻酔無しで取り出したらしい




51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:58:53.85ID:2HnVVeT30
食料が無いから木になっていたバナナ食ったら腹壊したらしい




52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:59:30.76ID:tyvlSe4A0
父方は会社員で母方は農家だから全然戦争とか関係ないわ




59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:02:23.16ID:VdlC8doc0
>>52
一億総動員の時代だし全く関係ないなら逆にすごいぞ
徴兵制もかいくぐったのか




66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:06:16.06ID:tyvlSe4A0
>>59
母方はど田舎で畑掘ってただけだし、父方は東京のかの有名な財閥でリーマンしてたよ
しいていえば空襲で不発焼夷弾が目の前に落っこちてきたとか




55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:00:44.72ID:GTJAq1A90
俺のじいちゃんは、誕生日の関係で、ギリギリ徴兵にひっかかる年齢だったのな
それが嫌だったからって、戦場に行く船から身を投げ出して、泳いで数日かけて岸まで辿り着いた
でもやっぱり国に背を背けた訳だから表の道では生きられない
だから、怖い人たちに世話になったって言ってた




58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:02:02.13ID:MX49zfy70
軍事工場のお偉いさんやってたらしい
戦後は戦犯だとかなんとかって言われて投獄されたって言ってた

国に命令されて、国が勝てるように頑張って兵器作ってたのにあんまりだって嘆いてたな




60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:02:35.10ID:CfEBZwTcO
聞くに聞けない雰囲気あったなぁ
爺ちゃんが喋ろうとすると婆ちゃん遮ったり

知らなくていい何かが沢山あったのだろう




63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:03:35.69ID:KXuFYvsDO
曾祖父は日露戦争の203高地の生き残りで、階級は大佐
常に部下が2人付いてた

祖父は陸軍で通信兵だったが、訓練中に仲間に腰を撃たれ(空砲で至近距離)て大怪我
入院中に終戦を迎えた




65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:04:46.43ID:fEUyZDZt0
大和に乗ってた





69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:09:58.87ID:kCu2GeMQ0
実家に軍隊手帳あったな 軍服も
たしか最後に陸軍伍長ってあったから実際は上等兵だろう
満州行ったらしい そこでの戦友と親友になってお互いの妹をお互いの嫁にしてた




71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:10:50.01ID:8aGK4AQcO
うちのじいちゃんは海軍だった
ある日陸に降りる班と
海に残る班に別れる事になり
班決めの為並んでいた所
ちょうどじいちゃんのところから陸に降りる班になった
そして海に残る班を見送った直後に
船が爆撃されて沈んだ




79:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:18:33.65ID:Ed4+nToW0
J1N 夜間戦闘機「月光」で、ラバウルやガダルカナルで偵察の任に当たってたらしい

写真もあったけど、一昨年に棺と一緒に火葬された




87:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:26:54.70ID:u6MNDDLJ0
軍医だったなあ。ピリピンかどっかに行ってたらしい
じいちゃんが戦地行ってる間に大阪のじいちゃんの医院が空襲であぼん




89:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:27:39.32ID:lv1lB30Y0
うちの爺さんは回天の搭乗員だた。終戦があと少し伸びてたら出撃してたらしい。ほかにも長門とか武蔵の乗組員もいたし、海軍一家だったとか




90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:28:18.57ID:69hwsi9W0
満州で事業やって大成功、日本にいる親戚に仕送りまでしてた
親戚も満州に呼んで暮らしてた
ばあちゃんは食事の準備などしたことがなく、そういったことは下働きの朝鮮人がやってた

じいちゃんは終戦の3ヶ月ほど前に召集され、そのまま帰ってこなかった
今も遺骨すらない

ロシア人は腕時計を狙って奪っていった
たくさんの日本人から奪った腕時計を、戦利品のように両手に何十個もつけていたという
下働きだった朝鮮人は家にあった家財道具一式をヤミ市で売っていた
シナ人の人攫いが出る、といううわさが流れた。特に女の子が狙われるということだったので、
父の姉は頭を丸坊主にされ、わざと薄汚い服を着させられた
それでも父のいとこは誘拐され、残留孤児になった




92:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:31:48.94ID:VBn2RzPJO
捕虜で捕まって数年ロシアだか極寒の地に居たらしい
戦死扱いで帰ったら家族にびっくり&よく生きててくれたって喜ばれたって言ってたな
そこで知り合った人に作ってもらった銀色の箸を生涯使ってた
その箸の逸話を聞いたのは葬式の時
大好きなじいちゃんだった




97:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:36:08.57ID:KGT/0pCY0
帝国海軍の水兵のカッコで敬礼してる写真がある。俺そっくりでワロタ




100: 忍法帖【Lv=25,xxxPT】 :2012/03/03(土) 08:41:39.74ID:9Wn4JWEM0
軍属だったじいさま

浜に打ち上がった機雷処理に立ち会ったが、解体失敗で大爆発
100人を超える死者が出た(多くは見物客らしい)大惨事に

じいさまは奇跡的に鼓膜破裂で済んだ幸運の持ち主で、92歳まで元気に過ごしたよ




106:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 09:00:09.45ID:4NTAjFBT0
陸軍の高射砲部隊にいた
B29を撃墜して生き残った兵士を捕虜にしたって言ってたなぁ




111:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 09:06:00.28ID:8y2qsMvSO
陸軍中尉で高射砲部隊の隊長だったそうな
婆さんと一緒に満州でまったりしてたみたい
終戦後は択捉とかに行かされてたらしい
士官学校時代の卒アルがあるが、当時の校長がかの牛島さんだった

牛島 満
(うしじま みつる、1887年(明治20年)7月31日 - 1945年(昭和20年)6月23日)は、日本の陸軍軍人。鹿児島県鹿児島市出身。沖縄戦において、第32軍を指揮し、自決した。温厚な性格で知られ、教育畑を歴任したが、指揮官としても、歩兵第36旅団長として武漢市、南京市攻略に参加し、功績を挙げた。





112:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 09:06:44.20ID:rzxT7NsQO
学徒動員で名古屋工廠で迫撃砲(擲弾筒?)の旋盤加工とか

シンガポールで工作船にて艦船修理

シンガポール港湾内で終戦

皆と仲良くしていた朝鮮人が終戦直後から、コロッと態度がかわったそうな




114:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 09:14:02.32ID:MydaaMzM0
母方のじいちゃんは通信兵として満州へ行ったけど
復員のときには出征のときより太っていたらしい

父方のじいちゃんは東京帝大で漢文研究してたよ




119:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 09:59:56.33ID:IUQCvj0q0
海軍の水上機に乗ってて奄美大島から沖縄へ週1のペースで爆弾を落としに行っていたとか。
米軍の攻撃があるので昼間は洞窟に隠れていて真夜中に飛んでいたと言っていた。




103:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:56:45.52ID:WgG1F3Ud0
憲兵やってたらしいが何も語ってくれなかった
よっぽど恐ろしいことしてたんだろうなと思う




104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 08:58:24.59ID:YKp1vcA90
色んな人生があるね




10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/03(土) 07:25:34.99ID:Iy24qq3K0
俺らで最後なんだよな
直接戦争の話し聞けるor聞けた代って

3 件のコメント:

  1. ゼロ戦四機落としたってアメ公かよ

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  2. >>45うちのじいさんと同じだ
    にょ

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  3. 憲兵はやっていたことを語れるはずがないよな

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